Interview
俳優として活躍する竹石さんに、学生時代の思い出、役者としての仕事への取り組み方について語っていただきました。
俳優
竹石 悟朗 さん
Takeishi Goro
2007年卒業
1986年、栃木県出身。
サンミュージックプロダクション所属。
舞台を中心に活動し、主演から脇役まで幅広い役柄を圧倒的な演技力で演じ切ることで定評を得て、出演は1000以上に及ぶ。
現在公開中の映画「手のひらパズル」にもメインキャストとして出演中。
幼い頃から映画やTVドラマが好きだったこともありますが、高校3年の冬に転機があり、いわゆる普通の進学や就職が難しくなった事が大きかったです。
今思えば、始めた頃は何も考えておらず行き当たりばったりで軽い気持ちでした。
故・津川雅彦氏が名誉校長だった事と、映画を沢山撮る(出演できる)事ができそうだったので。
私は一期生なので、実際に体験入学に行った時にはまだ校舎もちゃんと出来てなかったのですが、その代わり、自分達で自由にやっていけそうだと思いました。
あり過ぎて書ききれないのですが、1年生の2学期に学内で開催される映画祭で、主演男優賞を取り逃がしてしまい、学校のトイレで隠れて泣いたことがあります。
あれが本気になる転機だったと思います。
僕の記憶が正しければ、3年制なのに2年終了時には卒業までの単位はすべて取り終わってるくらい沢山の授業に参加してました笑。
そのため、どの授業も思い出深く、講師の皆さまには本当に感謝しております。
そんな講師の方々を差し置き恐縮ですが、やはり自主映画制作です。当時は24時間撮影OKだったので、ぶっ通しでの撮影を幾度となくやりました。
今はもう年齢的にも精神的にも難しいと思うので、学生の時にしか出来ない貴重で大切な思い出です。
あの当時意識していたのはエドワード・ノートンだと思います(笑)講師の皆様の言葉からも沢山影響を受けました。
作品は昔のこと過ぎて思い出せませんがパッと出てきたのは西川美和監督の「ゆれる」です。
色々あり映像の世界を一度諦め、この学校で出会った仲間たちと劇団を運営したり、普通に生きていたらできないような経験を沢山しました。
それが他人から見たら苦労や転機に思えるのかもしれませんが、結果として今はサンミュージックプロダクションにお世話になっています。
この業界に限らず、転機や苦労を乗り越える為に、日々の学びが必要だと思います。
劇団時間制作とキ上の空論という劇団の作品です。文字で簡単に表せるような内容ではないのですが、素晴らしい舞台です。
“演劇人”なら誰もが憧れる本多劇場や紀伊國屋ホール、シアタートラム、東京芸術劇場等で“演劇”で勝負している団体ですので、機会がございましたら是非。
コロナ禍でもお仕事はほぼこれまで通り続けられているのですが、最初は大変でした。でもやっぱり最終的に僕の中で一番大切だと感じたのは人間関係と芝居の土台でした。
コロナ禍になり今まで以上に本物が残る時代になってきています。人間関係もより明白になりました。
良作を見たり、演技の練習を毎日やったり、ジムに行ったり、人に会ったり、俳優としての学びは日常のすべてだと思います。
客観性を持ちながらも、なにより「自分軸」を大事にすることです。
舞台の出演本数が100作を越えたので、折を見てまた映像に挑戦しようと思ってます!
この業界に限らず、どの世界でも上を目指したら必ず同じような壁にぶつかると思います。どうせ壁にぶつかるのであれば、自分が『好きだと思えること』におもいきりぶつかってみても良いのではと僕は思います。
365日努力し続けたとしても必ず結果がついてくる世界ではありませんが、その本気になった時間は自分の中に残り、必ず今後の人生を支えてくれる財産になります。
自分と、自分の側に居てくれる人達を大切に、頑張ってください!